福岡県大牟田市。
のどかな住宅街を歩いていると、突如として天を突くような巨大な鋼鉄の櫓(やぐら)と、重厚な赤レンガの建造物が姿を現す。
現在では鳥のさえずりが響き渡る静かなこの場所だが、かつてここは、日本という国が近代化へと猛進するための「心臓部」だった。
2015年に世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の一つ、三池炭鉱・宮原坑(みやのはらこう)。
静寂の奥底に眠るかつての熱狂と、役目を終えた巨大インフラが放つ独特のノスタルジーに触れる。
国を動かした「黒いダイヤ」と最先端のメカニズム
明治から大正にかけて、宮原坑は三池炭鉱の主力坑として年間40万〜50万トンもの石炭を出炭していた。
ここから途方もない量の「黒いダイヤ(日本の近代化を支えるエネルギー源として、ダイヤモンドに匹敵するほどの莫大な富と価値を生み出したことから)」が地底から汲み上げられ、製鉄所の燃え盛る火となり、蒸気機関車を力強く走らせるエネルギーへと変わっていった。ここが間違いなく経済的に発展した今の「日本」を創り出していた場所であるというスケール感に、足を踏み入れた瞬間に圧倒される。
炭鉱開発における最大の敵は「地下水」。
宮原坑は、その湧水との壮絶な戦いを制するため、当時の世界最先端技術であった巨大なデービーポンプや巻揚機を導入。未知の西洋技術を貪欲に吸収し、何としてでも自国の力に変えてやろうという先人たちの凄まじい執念が、この鋼鉄の塊に詰まっている。
デービーポンプ
宮原坑をはじめとする三池炭鉱の歴史は、実は石炭を掘るだけでなく、大量の「地下水」との死闘でもあった。湧水による水没・閉山の危機に直面した当時の三井が、社運を賭けてイギリスから導入したのが、世界最大級の最新鋭排水メカ「デービーポンプ」。
巨大なボイラーの蒸気圧で鉄のロッドをピストン運動させ、地底深くの濁流を一気に地上へ汲み上げる規格外のパワー。1台の価格は現在の価値で約25億円にも相当する超高額な代物だったが、この世界最高峰のテクノロジーへの投資こそが三池炭鉱を救い、日本の近代化を推し進める原動力となった。
鋼鉄とレンガが語りかける郷愁
役目を終え、現在はコンクリートで塞がれた竪坑。風雨に晒され赤茶けたレンガと、高さ約22メートルの鈍い光を放つ現存する日本最古の鋼鉄製櫓。
最盛期の喧騒は完全に消え去り、そこにあるのはただ「巨大な機械が静かに眠っている」という情景。
一つの国を急成長させるという途方もない使命を背負い、ただひたすらに地下からエネルギーを汲み上げ続けた宮原坑。その使命を全うしてひっそりと佇む現在の姿には、廃墟のもつ物悲しさというよりも、「大仕事を成し遂げた後の、安らかな休息」のような穏やかな佇まいが漂っている。
私たちが当たり前のように享受している現代の豊かさは、この静かな鉄の塊が燃やした命の延長線上にある。
そう考えると、錆びた鉄柱の一つひとつがひどく愛おしく、美しいものに見えてくるから不思議だ。








息づく遺構
宮原坑の魅力は、ただ外観を眺めるだけにとどまらない。
赤レンガの巻揚機室に一歩足を踏み入れると、今でも微かに機械油の匂いが鼻をかすめ、つい昨日まで稼働していたかのように保存されている巨大なドラムを前にすると、当時の息遣いがそのまま保存されたタイムカプセルを開けたような感覚に陥る。
現地では、元炭鉱マンも在籍するというボランティアガイドの方々が、血の通った生々しいエピソードを語ってくれる。そして運が良ければ、ガイドさんがふと「炭坑節」を口ずさんでくれることもあるとのこと。
「月がぁ〜、出た出たぁ〜」
張りのある声が赤レンガの壁に反響するとき、かつてこの地で汗に塗れて働いていた無数の人々の姿が、陽炎のように浮かび上がる。なんともエモい瞬間に立ち会うことができる。
地底で繋がる巨大ネットワーク。もう一つの記憶「宮浦坑」へ
宮原坑の敷地に立っていると、ここが一つの独立した施設のように思えるが、実はそうではない。大牟田の地下には、各坑口から伸びた坑道が網の目のように張り巡らされ、広大な地底空間で繋がっていた。
江戸時代、三池藩と柳川藩がそれぞれの領地の坑口から掘り進めていたところ、地底で両者が開通して鉢合わせしてしまい、境界争いが勃発したというエピソードが残っているほどだ。
そんな途方もないスケールの地底ネットワークを実感できるのが、宮原坑からほど近い「宮浦石炭記念公園(宮浦坑跡)」。
昭和43年まで稼働したこの場所には、高さ31.2メートルにも及ぶ巨大な赤レンガの排煙用煙突が当時のままそびえ立っている。園内には、斜めに掘り進められた「大斜坑」や、労働者たちが地底へと向かった「人車プラットホーム」が復元展示されている。
宮原坑の真っ直ぐに下りる竪坑とは違い、斜め地下へと吸い込まれていくような斜坑の入り口に立つと、見えない地底で宮原坑とも繋がっていた巨大な空間の広がりを感じずにはいられない。先人たちがどのような想いでこの暗闇の先へと歩を進めたのか、彼らの重い足音が聞こえてくるような不思議な錯覚を覚える。


おわりに
大牟田の地に静かに佇む石炭遺産たち。
そこはただの古い廃墟ではなく、近代日本ががむしゃらに駆け抜けた青春期の熱気と、大仕事を終えた後の穏やかな余韻を同時に味わえる特別な空間だ。
しかし、あの薄暗い斜坑の入り口から、何百メートルという地底の奥深くへ下りていったのは、果たしてどんな人々だったのだろうか。
眩しいほどの近代化の「光」が落とした、知られざる「濃い影」の部分。暗闇のなか泥と汗に塗れた坑夫たち、過酷な労働を強いられた囚人、二度と太陽の光を見ることなく散っていった坑内馬、そして朝鮮半島や中国から動員された人々。
華やかな経済成長と私たちが享受する豊かな日常は、地底で無言のまま命を削った彼らの土台の上に成り立っている。決して目を背けてはならない真実を知ることで、この鉄とレンガの遺産たちは、より一層の重みを持って心に響いてくるだろう。

たびさんぽ