別府といえば、街のあちこちから立ち上る湯けむり。
「別府」という名前を聞くだけで、源泉総数が日本一の温泉地や地獄めぐりの風景が浮かぶ。
だがしかし、この「別府」という地名の由来、実は温泉とはまったく関係がないことをご存知だろうか?
ふらりと街を歩き、歴史の地層を少しだけ掘り起こしてみると、そこには平安時代末期から続く「開拓者たちの物語」が眠っていた。
「別符」から「別府」へ。始まりは一枚の証明書
「別府」という漢字を見て、何を連想するだろうか?
「別府」の「府」は、現在では政府や役所をイメージさせ、現在でも国府の置かれていた地を「府中」と呼んでいるケースも多い。
私も、政府の出先機関があったのだろうかと連想していたのだが
実は元々「別符」と書かれていたというのだ。
「符」とは、今でいう「証明書」や「チケット」のようなもの。平安時代末期に成立した土地制度の一形態として、荘園に付属する一部の区域が国司免符などの特別な符宣によって、官物などの別納(税を別に納めること)別個の支配体制ができたときに、その別納を認める徴符を意味していたが、次第に別納が実施される土地そのものに変化していった。
つまり、別府とはもともと「税制上の特別区域」を指す言葉です。漢字の「符」(しるし、ふだ)は証明書を意味するが、「府」は行政区域の一つを意味するため、「別符」がやがて「別府」と書かれるようになり、地名として定着したと考えられています。
要は現在の「経済特区」である。
3つの視点で紐解く「別符(特別区)」のメリット
なぜ、わざわざ「別」にする必要があっただろうか。
当時の関係者たちの視点で整理してみると、当時の熱気(フロンティア・スピリット)が見えてくる。
| 関係者 | メリットと役割 |
| 政府(国司側)から見たメリット | 「別符」の成立には国司免符が必要とされたため、政府側は、新たな開墾地からの公的な税収(官物)を確保することができた。 |
| 管理者(領主・宇佐神宮など)から見たメリット | 別府市の市名は、律令制下の豊後国速見郡朝見郷内に成立した宇佐宮領の「石垣別符」に由来する。領主側は、本領とは別枠で土地を支配し、開発による利益を独占することができた。 |
| 働く人(農民・開発者)から見たメリット | 「別符」の土地は、もともと新開発村であったと考えられる。既存の古い村のしがらみから離れ、新たな生活を切り拓く開拓者としての活気にあふれていたと推察される。 |
かつて、ここは「熱海」と呼ばれていた?
「別府」という名前が定着する遥か以前の古代、この地は温泉の激しさにちなんだ地名で知られていた。
奈良時代の史料『続日本紀』には速見郡「敵見郷(てきみごう)」、平安時代の『和名抄』には速見郡「朝見郷(あさみごう)」と記されている。
これらは元々「アタミ」と読まれており、「熱水(あつゆ)」「熱い海」の読みが転訛したものだと解釈されている。この語源は、奇しくも静岡県の熱海市と同じである。
当時の人々にとって、鶴見岳の噴火による泥流でできた石だらけの扇状地(石垣原)は、豊富な温泉の恵みというより、湯気が燃え盛る火のように熱くて近づくことすらできず、周囲の草木が枯れる「地獄」のような過酷な土地だった。この熾烈な地(石垣原)を切り拓き、石を積み上げて田畑を作った歴史こそが、「石垣別符」という名のルーツとなる。
九州に「別府」が多い理由
「別府」という地名は、九州地方だけでも300以上確認されている。
福岡の「べふ(多久市、福岡市城南区)」、大分県宇佐市の「びゅう(別府)」、福岡県吉富町の「びょう(別府)」など、読み方は違えど、その名称の起源は、すべて中世の土地制度である「別符」(税金の特別区域)がルーツであるとされる。
これほど「別府」地名が広範に分布しているのは、特定の地理的特徴ではなく、中世の時代に、日本各地、特に九州で新しい土地開発が盛んに行われ、「別符」という行政的区分が広く適用された証拠でもある。その中でも、古代からの「熱水(アタミ)」という温泉資源の力と相まって、近代以降に国際的な観光都市へと大きく発展したのが、今の大分県別府市だった。
散策の終わりに
次に別府の街を歩くときは、湯けむりの向こう側に、「税を別納し、新たな支配体制を築き上げる」という強い意志のもと、石を積み上げて懸命に土地を拓いた中世の人々の姿を想像してはいかがでしょうか。
単なる「温泉地」としてだけでなく、古代の自然の猛威と闘い、経済的なフロンティア(最前線)として切り開かれた「別符」としての顔が見えてくると、いつもの景色が少しだけ誇らしく、力強く感じられるかもしれません。
——————————————————————————–
出典(参照元)
- 『別府市誌. 第1巻』(別府市編、2003)
- 『日本大百科全書(ニッポニカ)』(「別府(市)」の項目)
- 『デジタル大辞泉』(「べっぷ【別符/別府】」の項目)
- 『国史大辞典』(「べっぷ【別府】」の項目)
- 『角川日本史事典』(「別符」の定義)
- 『別府市の概要』(令和7年度版、別府市 企画戦略部 政策企画課)
- 『各駅停車・大分県歴史散歩 (3)別府』梅木秀徳 著(大分合同新聞社)
たびさんぽ