さんぽするようなのんびりたび

【尾道市】海の民なのに、山へ登る。【因島・村上水軍城】

水軍なのに、山城?
潮の匂いも届かない場所で、かつて海を支配した者たちの足跡をたどる。

階段が続く。
「水軍なのに、どうしてこんなに山を登のだろうか。」
健康の大切さをかみしめながら見上げた先にそれはあった。

海を支配した武士たちの城が、海から離れた山の中腹にある。


海の民の城が山にあるという違和感

ここは山の上。
風の匂いも、潮より土のほうが勝っている。

水軍と聞けば荒れた波の上を想像するが、そのイメージとは違う空気がここにはある。

海の喧騒から少し距離を置いた場所
そう感じたとき、なぜかこの城が
静かに意味を持ちはじめる。

無理に答えを求めず、ただ息を整える。
そんな時間が似合う場所だ。

見張るためでも、戦うためでもなく。
ただ、思考し、判断し、交渉するための場所なのかもしれない。

海で動き、山で決める。
そんなリズムがあったのだろうか。


村上水軍は、海に秩序をつくった

村上水軍は、よく「海賊」と呼ばれる。
確かに、略奪や武力行使の記録は残っている。
だが同時に、彼らは海上交通を管理し、護衛し、通行料を徴収する存在でもあった。

暴力と秩序。
無法と管理。
その両面性こそが村上水軍の特徴だった。

簡単に言えば、彼らは「武力を背景にした海のインフラ運営者」といったところか。

必要があれば力を行使する。
しかし、契約や取り決めがあればそれを守る。
敵対勢力であろうと、契約が存在する限り護衛をしたという記録すらある。

私はそこに、
現代のビジネスや国際ルールにも通じる「信頼の文化」を感じる。

史料に明確な文言が残っているわけではない。
だが、彼らの行動には、そう読み取れる一貫性がある。


静けさの中に眠る石塔

城の近くにはお寺がありその敷地内に多くの石塔が集められている。
移設集約された村上水軍ゆかりの物のようだが、誰のものかわからないそうだ。

そこに立つと、海の荒々しさではなく、
静かな人の気配が残っていた。

海で戦い、海で暮らした者たちが、
最期に眠るのは山。

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盛者必衰、今残る誇り

村上水軍は隆盛したが、
中央政権の力が強まるにつれ、役割を終えていく。

海を支配した者たちの拠点は、
いまは日本遺産という形で静かに残っている。

潮の匂いもしない山の上で、
けれど確かに、
海の気配だけは消えていなかった。


海は戦場ではなく、道だった

村上水軍にとって、海は奪い合う場所ではなく、
行き交う場所だった。

人が行き、物が渡り、価値が交換される。
その流れを守ることこそが彼らの矜持だった。

山の上の城は、戦のためではなく、
その流れを整えるために存在した場所だったのだろう。

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