さんぽするようなのんびりたび

森鴎外旧居を訪ねて:小倉と文豪と麦酒

休館日

第3木曜日には気をつけろ

「ふらっと立ち寄ったら定休日だった」
旅先あるあるの典型を、小倉の森鴎外旧居でやらかす。
まさかの第3木曜日定休
入口まで来てようやく気づく自分に呆れながら、悲しみを胸に抱きつつ、苦し紛れの外から写真をぱしゃり。

陽光の下で汗をだらだら流しつつ来た道を戻ることに、これもまた「次回の楽しみ」という旅の余白。
本当は建物の中を紹介したかった。
小倉にもう一度来る理由ができたのだと、自分を慰め、納得させる。

森鴎外旧居

駅前から続く鴎外通り

小倉駅前の大通りから旧居の方を振り返る。
地面には「鴎外通り」と彫られている。
通りの両脇には飲食店が軒を連ね、夜にはおおいに地元の人でにぎわうのだろう。
この街の生活と文学が、自然に重なり合っているように感じられる。


森鴎外と小倉の縁

ところで、なぜ森鴎外の旧居が小倉にあるのか。
森鴎外が小倉に関わったのは、第12師団軍医部長として赴任した1899年6月から1902年3月までの約3年間
赴任当初、鴎外はこの人事を「左遷」と感じ落胆していたと記録されているが、文壇活動を控える一方でフランス語や禅思想を学び、歴史や近代観に関する随筆を執筆するなど内面的な成長を遂げる。
徴兵検査の視察や史跡訪問を通じ、社会の周縁や底辺に生きる人々への眼差しも育まれ、この経験が後の史伝作品や文学観に大きく影響したとされる。
1902年3月、鴎外は東京へ転任し新妻とともに生活を移すが、小倉で過ごしたこの3年間は、公的挫折と自己研鑽が入り混じった、彼の人生にとって重要な時期だった。
小倉の旧居はその時代の住まいで、当時の鴎外の生活に思いを巡らせることができる貴重なものといえる。


文豪の姿を重ねてみる

舞姫

せっかくなので、改めて『舞姫』を読み返してみる。留学先のドイツでの経験が色濃く反映された作品であり、近代日本人が「西洋とどう向き合うか」という葛藤を描いたもの。
筆者の人物像や背景を考えると、作品の持つ印象が少し変わってくる。
近代における日本男児の生き様に思いを馳せる。
背筋も伸びる。
自分の人生を振り返ると、あまりに対照的でおまぬけだ。


鴎外とビール

鴎外といえば軍医、文豪そして実はビール好きだそうだ。
ドイツ留学中に出会ったビールにすっかり魅せられ、日本に帰ってからもよく愛飲していたと伝えられている。
ひときわ疲れ果てた日はビールで心も癒したことだろう。
そんな鴎外の姿を思うと、ちょっと親近感も湧いてくる。

旧居を後にして、小倉駅近くの焼うどん屋に腰を下ろす。
グラスを掲げて「乾杯!」。
かの文豪と酒を交わしているような気になりとても気分がいい。
もう酔ってしまったか。

焼うどん 製鉄の街で鉄板料理:小倉名物焼うどん

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA



reCaptcha の認証期間が終了しました。ページを再読み込みしてください。