さんぽするようなのんびりたび

【尾道市】心洗われる。修験と風景のあいだで【因島・白滝山へ】

旅をしていると、ときどき場所そのものが静かに語りかけてくることがある。
言葉ではない
しっかり伝わってくる
白滝山は、まさにそんな場所。

広島県尾道市・因島。
瀬戸内海のやわらかな空気に包まれたこの島の北側に、標高226メートルの白滝山はある。
数字だけ見ると「小高い丘」ぐらいに感じるかもしれない。
しかし、実際に歩いてみると、すぐに印象は変わる。

ここは、ただの山ではなく、昔から修験者が修行を行った霊場。
交通の要衝、そして戦の時代には見張り台としての役割も果たした、意味のある山。
その歴史と静けさが、歩くたびにじんわり染みてくる。


五百羅漢に出会う道

白滝山の象徴といえる五百羅漢。
仁王門から山頂へ向けて、大小あわせて約700体もの石仏が並ぶ。

柔らかく笑っているもの、思いふけるような表情のもの、こちらを試すように見つめるもの。
(試されるのは苦手です。)
表情は一体ずつ違うのに、全体としては不思議な調和がある。

歩いているうちに、「どことなく自分に似てる・・・」なんて羅漢に出会う瞬間もあり、ふと笑ってしまう。
そういう距離感が、この山の魅力かもしれない。

とはいえ、山頂付近は修験者の修行を思わせる急な階段が続く。
ヒザに爆弾を抱えている紳士淑女はご慎重に。
不安がある方は、自分のペースでゆっくりと
焦らなくて大丈夫。
ここは急ぐ場所じゃないので。


背後から太陽、威厳をまとう石仏

山頂へ向かう途中、ふと振り返ると瀬戸内海が広がり、島々の向こうに尾道や三原の街が霞んで見える。
さらに遠くには、広島空港へ向かうフライトロードのアーチ橋も確認できる。

人が作ったものと自然が溶け合う景色は、瀬戸内ならではの贅沢。

そして、その風景とは対照的に、山頂に近づくにつれて空気が少しずつ厳かになってくる。

背後から光を浴びる石仏の前に立った瞬間、言葉にならない緊張感が走る。
まるで「今のままでいいのか?」と問われているような感覚。

身も心も全く持って修行が足りない自分は、ただ静かに

「なんかすごいなぁ・・・」と

そう呟くしかなかった。


古くて新しい信仰のかたち

白滝山は古くより信仰の場として知られているが、その景観を特徴づけているのは修験道だけではない。
江戸時代後期、この地に「一観教(一貫教)」という独自の思想を掲げた人物がいたとされている。
その人物が豪商・柏原伝六。

神道・儒教・仏教、さらには西洋思想までを学び、それらを調和させようとした。

その思想が反映されているのが、この五百羅漢群像。

すべての宗教が向かう先は同じ。
人の心は違っても、願うものはきっと似ている。

そう思うと、羅漢たちが並ぶこの場所は、宗教を超えた「祈りの風景」だと言えるか。


展望台で深呼吸

山頂の展望台に立つと、瀬戸内海が360度広がります。
島と海。海と島。
見渡すかぎりそれが続く。

歌人・吉井勇が

「白滝の山に登れば眼路広し、島あれば海、海あれば島」

と詠んだ気持ちが、よくわかる   気がする。

遠くの景色もいい、さらには、風の音や鳥の声も記憶に残る。
その音の中の静けさが、自分の心の中にあるノイズをゆっくり沈めてくれる。


また来たくなる場所

白滝山は、派手さや便利さとは少し距離のある場所。
けれど、ここには確かに「特別な空気」が流れている。

観光というより、参拝とか、自分を整える時間という言葉のほうがしっくりくる。

急な階段に息を切らしながら、それでも進んでいくと、いつの間にか余計なものが落ちていく。

降りるころには、ちょっとだけ心が軽くなる
そんな山。

また季節を変えて訪れたい。
今度は、夕日が差す時間に。

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