「まちの小さな郷土資料館だろう」
と、正直どこか侮っていた節があった。
しかし、足を踏み入れた瞬間に、その考えは木っ端微塵に打ち砕かれる。
広島県福山市松永町にある「松永はきもの資料館」。ここは、ただの懐かしい展示品が並ぶ場所ではない。弥生時代の田下駄から宇宙靴まで、人類が大地と共に歩んできた「2000年のあしあと」がギッシリ詰まったタイムカプセルだった。
展示の冒頭に、ひとつの案内パネルがある。
「はきもの」は人間と大地の接点であり、大地の上で生活する人間にとって最も大切で基本的なものと言える。わが国では、足につける道具として、足を保護し、仕事の能率を高めるための工夫をほどこしてきた。
私たちが普段、ファッションやコーディネートの一部として何気なく選んでいる靴。しかし本来、はきものとは「人間と大地の接点」であり、人が生きるために最も根源的な道具と言える。

「ぬかるむ大地」を生き抜く:太古の田下駄に見る生存の知恵
展示を巡る中でまず圧倒されるのが、日本人の生活や労働に密着したはきものの多様性。
その象徴が、弥生時代の遺跡からも出土する「田下駄(たげた)」である。深い泥の田んぼに足が沈まないよう、大きな木板に手縄がつけられたその姿は、一見すると不格好な農具にみえる。しかしこれは、当時の人々が「食べるため、生きるため」に必死に頭を絞って作った暮らしの知恵の結晶だ。指でしっかり鼻緒を挟み、足の力を極限まで使ってぬかるみを進む。そこにはファッションの付け入る隙などない、生存のための「機能美」が宿っている。

「働く・祈る」:日本の風土が変形させた狂気的な道具たち
江戸時代以降、日本の風土に合わせて、はきものは信じられないほどのイノベーションを遂げていく。館内に並ぶのは、特定の作業や目的を果たすためだけに、独自の進化を遂げた「職人の道具」と呼ぶべき下駄たち。
- ネヅラ下駄:底に竹製の針がびっしりとついており、遠浅の海岸を歩きながら足元でヒラメやカレイを突き刺して捕まえるためのもの。
- 足桶(あしおけ):現代のゴム長靴の代わりに作られた桶型のはきもの。水や泥が入らないように工夫され、海苔の養殖や和紙作りの現場で、ぐっと踏みしめて立つために鼻緒がつけられている。
- 茶切り下駄:鋭い樫の三枚歯を持ち、お茶の葉を踏み締めて細かく刻むために作られた、まさに「足で使うハサミ」のような下駄。
さらに、はきものは精神世界や人々の感情とも深く結びついていた。
夜這いの際に暗闇でも自分の靴を間違えないよう、鼻緒が異常に太く作られた地元の「ヨバイゾウリ」。そして、「二人が一緒になれるように」という願いを込め、台を2枚重ねて編んで好きな人に贈ったというバレンタインのプレゼントのような「ニカイゾウリ(二階草履)」。
生きるための労働から、誰かを想う心まで、昔の人々の生々しい息遣いがすべて「足元」に残されている。
田んぼの泥から、宇宙の砂へ:時空を超える人類のあしあと
展示をさらに進むと、時空が歪んだのかと思うほどのドラマチックな展示が待っている。なんと、アポロ11号が月面着陸した際に使用された「月面靴(ルナブーツ)」が展示されているのだ(前身の博物館がNASAから研究用として借用し、実物同様に制作したもの)。
数千年前(弥生時代)、日本の田んぼで泥にまみれながら「田下駄」を履いていた人類が、知恵と工夫を積み重ねた果てに、ついに地球を飛び出し、誰も踏み入れたことのない「月の大地」へあしあとを残した。この「足元2000年のイノベーション」の軌跡を1つの空間で一気に浴びられるのが、この資料館の凄みだ。
この展示が「松永」にある歴史の必然
なぜ、これほどディープな資料館がこの松永の地にあるのか。そこにはこの町が持つ、もう一つの「生活を支えた歴史」があった。
かつて松永は、瀬戸内海に面した大規模な塩田の町だった。北前船で山陰や北陸へ塩を運ぶ帰りの船に、重し代わりとして積まれたのが、安価な北海道産の材木(アブラギなど)だった。これが軽くて白く、下駄の材料に最適だったことから、明治11年(1878年)、丸山茂助という人物が下駄づくりを始める。

彼は後に下駄製造の機械化・大量生産に成功し、松永は「日本の下駄の6割」を生産する日本一の大産地へと変貌を遂げた。それまで高級品だった下駄を、誰もが当たり前に履ける「大衆の日用品」へと普及させ、日本人の足元を文字通り底上げしたのが、この松永の町だったのだ。
脳がパンクする圧倒的な展示数とボリューム
ここまででも十分にお腹いっぱいになるストーリーなのだが、この資料館の真の恐ろしさは、後半にかけて押し寄せる「狂気的なまでの物量」にある。
実はこの施設、4代目・丸山茂樹氏が下駄産業100年を記念して「先人たちの努力の歴史を後世に残したい」と、驚くべきことに巨額の私財を投じて設立した専門博物館(旧日本はきもの博物館)が前身となっている。だからこそ、まちの資料館のレベルを遥かに超越しているのだ。
その収蔵数は、驚くなかれ「はきもの約13,000点」、そして同じ敷地に併設された「郷土玩具約18,000点」という、文字通り桁違いのスケール。

歩いても歩いても、古今東西、世界中から集められたあらゆる靴、草履、サンダルが壁一面、ショーケースの中にギッシリと並んでいる。さらにそのうちの2,266点が国の重要有形民俗文化財に指定されているというから、もはや日本の宝箱である。
極めつけは「栄光のはきもの」コーナーだ。
長嶋茂雄氏や王貞治氏のベースボールシューズ、ジャイアント馬場氏の巨大な靴、さらには広島カープのレジェンドである黒田博樹投手、前田健太投手、菊池涼介選手らの実物スパイクまでが、これでもかと展示されている。スポーツファンならここだけで1時間は足が止まるだろう。
「ちょっと30分くらいで回れるだろう」という当初の甘い見立ては見事に裏切られ、情報量と物量のダブルパンチに脳がクラクラするほどの、もの凄い見ごたえとボリュームだった。

時間にはゆとりをもってのご来館をおすすめする。
まとめ:いつもの靴が、少し違って見える
気がつけば、展示室を出る頃には心地よい疲労感と、じんわりとした満足感に包まれていた。
現代の私たちは、綺麗に舗装されたアスファルトの上を、お気に入りのスニーカーで何気なく歩いている。しかしその足元には、かつて人々が泥にまみれ、海に浸かり、あるいは愛する人を想いながら積み上げてきた、2000年以上の「人類のあしあと」が敷き詰められている。
国登録有形文化財である大正ロマン漂う洋風建築(旧マルヤマ商店事務所)を眺めながら、資料館を後にするとき、自分の履いている靴の紐を、いつもより少しだけ愛おしく、きゅっと結び直したくなった。
金・土・日・祝日しか開いていない隠れた超重量級スポット。
「ただの資料館」だと思っている人にこそ、ぜひこの圧倒的なボリュームと、足元のディープな沼に溺れてみてほしい。

【施設情報】
- 施設名:福山市松永はきもの資料館(あしあとスクエア)
- 開館日:金曜日・土曜日・日曜日、および祝日(年末年始を除く)
- 開館時間:10:00~16:00(入館は15:30まで)
- 入館料:大人 300円(高校生以下無料)
- アクセス:JR山陽本線「松永駅」南口から徒歩5分(駐車場無料)
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