さんぽするようなのんびりたび

このややこしい現実を脱ぎ捨てて、日々を開放的に生きていきたい。「艮神社」で願う、息苦しい日常からの解放。

なんだか名前がかっこいい。
この自分の奥底にある少年の心をくすぐってくる神社に、思いがけない発見があった。

神社の名前は「艮神社」
お恥ずかしい話だが、初見でこれが読めなかった。
「良(りょう)」に似ているけれど違う。
正解は「うしとら」神社

といっても同名の神社は近隣地域に多く存在している。
今回伺ったのは広島県福山市北吉津町にある艮神社だが、マップで検索してみただけでも福山駅から半径2km圏内に北吉津町のほか5か所の艮神社を確認することができた。

また、「艮神社」と聞いて、映画のロケ地にもなった尾道の神社を思い浮かべる人もいるかもしれない。やはり、同名の神社は各地に意外と多く存在するため、ナビの設定を間違えてしまうと全く違う場所へ導かれてしまうので注意が必要だ。

城の鬼門を護る。「丑」と「寅」の間

なぜ「うしとら」というかっこよくも変わった名前なのかについては、 十二支の方角で「丑(うし)」と「寅(とら)」の間、つまり北東を指しているからだ。
他にも「巽(たつみ)」は南東、「坤(ひつじさる)」は南西、「乾(いぬい)」は北西と、それぞれの干支に挟まれた方角を干支を組み合わせた呼び名で表現している。中でも「艮(うしとら)」は私的に一番かっこいいと思っている。

さて、北東といえば「鬼門」である。
初代福山藩主の水野勝成が福山城を築いた際、城の鬼門を鎮め、厄を払う守護神としてこの地が重要視されたという。創建自体は平安時代に遡るというが、時代とともに役割を変えながら今の形に落ち着いている。

学生時代の歴史の授業は退屈だったのに、その土地の役割や名前の由来のパズルがカチッとはまる感覚は、歳を重ねるにつれて妙に面白く感じてくるから不思議だ。

疫病退治より、笑いと「覆いを取る」願い

静かな境内には、須佐之男命(スサノオノミコト)、伊邪那岐命(イザナギノミコト)、そして天宇受売命(アメノウズメノミコト)という、誰もが一度は耳にしたことのある有名神様が祀られている。

須佐之男命(スサノオノミコト)

伊邪那岐命の禊(みそぎ)から生まれたとされる神。高天原で散々暴れて天界を追放されるという、いわゆる「やらかし」の過去を持つ。しかし、流れ着いた出雲の地では八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治して娘を救い、英雄となるのだから人生は分からない。現在では厄除けや疫病退治の神として信仰を集めている。手痛い失敗からでも見事に立ち直るその逞しさは、なんとなく勇気をもらえるような気がする。

伊邪那岐命(イザナギノミコト)

妻である伊邪那美命(イザナミ)とともに、日本の国土や数多くの神々を産み出した「国生み」の神。しかし、亡き妻を追って黄泉の国へ向かうものの、変わり果てた妻の姿に恐れおののき、逃げ帰って離縁を告げるという人間臭い一面も併せ持つ。どれほど偉大な神様であっても、修羅場からは逃げ出したくなるものらしい。そう思うと妙な親近感が湧くが、現在は生命の営みや縁結びの神として広く信仰されている。

天宇受売命(アメノウズメノミコト)

日本最古の踊り子とも言える芸能の女神。太陽の神・アマテラスが天岩戸に引きこもり世界が闇に包まれた際、岩戸の前でなりふり構わず肌を晒して踊り、神々を大爆笑させた。その笑い声につられたアマテラスが外を覗き、世界に光が戻ったという神話の立役者だ。理屈や深刻さよりも、ただ馬鹿馬鹿しく笑い飛ばすことのパワーを教えてくれる。息苦しい今の時代にこそ、彼女のような底抜けの明るさにあやかりたいものだ。

以前、テレビ番組の開運スポットとして紹介されたこともあるそうだ。
当時は未だコロナ禍が収まっておらず、誰でもマスク着用が当たり前のころ。
その状況下において、疫病退治といえば本来は「厄除けの神」であるスサノオの出番。スサノオに疫病退治を皆が願うのかと思いきや、どうも様相が違ったようだ。

本殿に祀られているのはスサノオとイザナギ。
一方、アメノウズメは境内末社の宇受売神社に祀られている。要するに、艮神社のメインの御祭神ではない。
しかし、当時の世間の心をより引き付けたのはアメノウズメの方だった。

神話の中で、天岩戸に引きこもってしまった太陽の神を連れ出すため、アメノウズメはなりふり構わず肌を晒して踊り、神々を大笑いさせた。いつ終わるともしれない息苦しい日々の中で、顔を覆うものを取り払い、気兼ねなく笑い合いたい。
疫病をねじ伏せる強さよりも、彼女の持つあっけらかんとした明るさと「脱マスク」にも通じる覆いを取るパワーが、当時の人々の願いと重なり、共感を生んだのだった。

歴史のひとコマとして明日を迎える

城下町を見守り続けてきた境内に立っていると、悩みや抱えていたモヤモヤが薄れていく気がする。何百年も前からある場所に身を置くと、今の悩みや閉塞感も、いつかは歴史のひとコマになるのだろうと変に安心したりもする。

最初は名前のかっこよさにひかれてたどり着いただけだったが、そこにはとても魅力的なエピソードがあった。
それは艮神社に限ったことではないだろう。
こうして静かな場所で息抜きをしながら、また明日からぼちぼちやっていこうと思う。

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