「日本一高い山は?」と聞かれたら、誰もが迷わず「富士山!」と答えるでしょう。 では、「日本一低い山は?」と聞かれたらどうでしょうか。
「確か大阪にある天保山(てんぽうざん)じゃなかったっけ?」と思い浮かべる方が大半だと思います。
実はそれは過去の話。
今回、私は大阪市港区にある天保山を訪れました。そこには低い場所から社会を見上げる山が鎮座し、今でも地域のランドマークとして親しまれています。
「山頂を見下ろす展望台」というシュールな光景
天保山があるのは、巨大水族館「海遊館」や大観覧車で賑わう大阪港エリアの一角、天保山公園の中。

公園に到着し、「まずは山頂を目指そう!」とあたりを見回すと、立派な高台(展望台)が目に入ります。
「おお、あそこが山頂か!」と階段を上ってみたものの登り切って周囲を見渡すと、なんだか猛烈な違和感。「これじゃない」感が襲ってくるのでネットで調べてみると、二等三角点が目印のようだったのでそれを探すことに。

展望台にはそのような三角点や看板らしきものはどこにもありません。
これは山道を見失い遭難してしまったのかと思い一度展望デッキを降り、公園をしばし探索。
ありました。平坦な地面にポツンと埋め込まれた「二等三角点」と、小さな標高プレート。

標高、4.53メートル。
斜面もなければ、地面の盛り上がりすら一切ありません。ただの平坦な広場です。 驚いたのは、先ほどまでいた展望台を山頂から振り返ったときでした。
「山頂から、展望台を見上げる」という逆転現象。 山頂に立っているはずなのに、周りの構造物や木々のほうが圧倒的に高いという、なんともちぐはぐした空間がそこには広がっていました。

江戸から続く、天保山の波乱万丈な半生
なぜ、こんな平らな場所が「山」と呼ばれているのでしょうか。その理由は江戸時代にまで遡ります。
天保山は、1831年(天保2年)に行われた大規模な川底の土砂浚渫(しゅんせつ)工事によって作られた人工の山(築山)です。工事で出た土砂を積み上げて作られ、当時の元号から「天保山」と名付けられました。
誕生した当時は標高約20メートルもあり、大阪湾に入る船の目印(目じるし山)として重宝されていたほか、歌川広重の浮世絵にも描かれるほどの超人気行楽地だったそうです。

しかし、その後の歴史が天保山を小さくしていきます。
幕末から明治にかけては外憂に対抗するための砲台(台場)を作るために土砂が削られ、近代以降は周辺の工業化に伴う過度な地下水汲み上げで深刻な地盤沈下が進行。
山らしさを保っていた高台は徐々に低くなり、最終的には「山としての盛り上がり」を失った現在のフラットな姿になってしまったのです。まさに、大阪の都市開発と歴史に翻弄された山と言えます。
「何をもって日本一とするか?」全国の超低山ルール
天保山は「元日本で一番低い山」であり、現在では「日本で二番目に低い山」とされています。そもそも何をもって「日本一」と決めているのでしょうか?
実は、国土地理院には「山」の明確な数値定義(何メートル以上が山、など)が存在しません。 自治体や住民が「これは山だ」と申請し、長年の慣習や地域の状況をふまえて判断され、国土地理院の地形図に山名が掲載されて初めて公式な「山」として認識される仕組みになっています。
そのため、全国にはそれぞれの誇りを懸けた「条件付き日本一」低い山々が存在しています。
| 山名(所在地) | 標高 | 主な称号・特徴 |
|---|---|---|
| 日和山(宮城県仙台市) | 3.0m | 【現・日本一低い山】 国土地理院の地形図に掲載されている山として日本一低い。 |
| 天保山(大阪府大阪市) | 4.53m | 【二等三角点のある山として日本一】 地形図掲載の築山(人工山)としての元祖。 |
| 弁天山(徳島県徳島市) | 6.1m | 【自然の山として日本一低い】 人工的に作られたのではない、完全な「自然地形」の山。 |
| 大潟富士(秋田県大潟村) | 0.0m | 【海抜0mの山】 干拓地(海抜マイナス)に作られ、山頂がちょうど海抜0m。 |
18年ぶりの「首位交代」劇
長らく「日本一低い山」として君臨していた天保山ですが、2014年に衝撃的な事件が起こります。
宮城県仙台市にある「日和山(ひよりやま)」は、もともと標高6mで天保山より高かったのですが、2011年の東日本大震災に伴う津波で山が大きく削られてしまいました。 2014年の国土地理院の現地調査により、日和山は標高3.0mと測定され、18年ぶりに「日本一低い山」の座へ返り咲いたのです。(日和山は過去にも日本一低い山とされていた期間があります。)
このニュースにより天保山は第2位へ転落。しかし大阪の人々は落胆するどころか、「二等三角点がある山としては今でも日本一」「2位になったのも歴史のドラマ」と、そのユニークな立ち位置を今も前向きに愛し続けています。
地盤沈下で再び1位に?それは本当にいいことなのか
天保山周辺は、かつて地盤沈下が激しかった地域です。「もし今後、再び地盤沈下が進んだり地形が変わったりしたら、天保山が標高3mを切って『日本一低い山』に返り咲く日も来るのでは?」
これまでの経緯からもそんな考えが頭をよぎります。しかし、少し立ち止まって考えると、それは決して喜べることではないでしょう。
地盤沈下や過度な侵食は、沿岸部における高潮被害や自然災害のリスクを高めることと裏腹です。言わずもがな、数値のうえで「日本一」という称号を取り戻すことよりも、防潮堤が整備され、人々が安心して暮らせる港町であり続けることの方がはるかに大切。
天保山が教えてくれるのは、単なる高さ(低さ)の数字競いではなく、「人と自然、そして都市がどう関わってきたか」という地理の面白さではないでしょうか。

高さではなく「物語」を登る名峰
標高4.53メートル、登頂にかかる時間はわずか数秒。 山らしい登り坂もなければ、絶景が広がる山頂もありません。
しかし天保山には、江戸時代の舟遊び、近代の軍事的潮流、現代の地盤沈下、そして東北の日和山との知られざるドラマなど、普通の山にはない濃密なストーリーが詰まっています。
大阪を訪れた際は、海遊館や天保山マーケットプレースでの観光とあわせて、ぜひこの「山頂を見下ろす展望台」と「地面にある三角点」を探してみてください。きっと、一瞬で登れる山頂で深みのある歴史のロマンを感じられるはずです。
たびさんぽ