今の日本で「新しい踏切」ができるというのは、実はめったにお目にかかれない出来事です。
安全面や交通渋滞の観点から、現在の法律では踏切の新設は原則として禁止されています。高架化や地下化などによって「なくしていく」のが今の主流だからです。
そんな厳しいルールの壁を越え、北海道白糠町に道内では22年ぶりとなる新しい踏切「恋問(こいとい)踏切」が誕生しました。
なぜ、この場所で特例が認められたのか。
行政のインフラ整備という言葉だけで片付けることもできますが、少し歴史を遡ってみると、そこにはこの地に古くから伝わるアイヌの伝承が深く関わっていることに気づきます。
「恋問」の名の由来。ロマンスではない事実
「恋を問う」と書く「恋問」。若い頃なら、何か甘いロマンスの伝説でもあるのかと期待したかもしれませんが、実際の語源にそのような響きはありません。
由来となったのはアイヌ語の「コイ・トゥィエ(波が崩す・波が切る)」。
荒波が激しく打ち付け、海岸線の砂丘を削り取っていくような、過酷な自然環境を指す言葉だそうです。現実はいつも、少しばかりシビアにできているものです。
この地の人々は古くから、波に大地を削られるような厳しい自然と常に隣り合わせで生きてきました。
コイトイ沼に残る「占いおばあさん」の伝説
そんな日常の中で、ある一つの民間伝承が語り継がれてきました。「占いおばあさん」と「カムイイワ」の伝説です。
かつて、このコイトイのコタン(集落)に、占いが得意なおばあさんが住んでいました。
ある晩、おばあさんは突然「オプンウンペ エク(津波が来る)!」と叫びながら、村中を駆け回ったそうです。最初は半信半疑だった村人たちも、「早く逃げないと死ぬぞ」と戸を叩いてまわる必死の姿にただならぬ気配を感じ、裏山へと避難しました。
直後、海面が異様に盛り上がり、巨大な津波が村のすべてを飲み込んでいきました。間一髪で助かった村人たちが下山すると、そこにおばあさんの姿はありませんでした。
その後、沼の奥の谷にひとつの大きな岩が現れ、人々は「おばあさんが村を救って岩になったのだ」と悟り、それを「カムイイワ(神の岩)」として深く祀ったと言われています。
語源が示す日常と、伝説が遺した非日常の記憶
アイヌで語り継がれていたこの伝承。嘘か誠か定かではありません。
しかし、地名の語源が示す通り、ここは日常的に海からの脅威に晒されていた過酷な場所。普段から自然の恐ろしさを肌で知っていたからこそ、津波という「非日常の猛威」に対する危機感もまた、私たちの想像以上に強かったのでしょう。
先人たちは、おばあさんの自己犠牲の物語を通して、「異常を感じたら迷わず高台へ逃げろ」という痛切な教訓を後世に残しました。これは単なるおとぎ話ではなく、間違いなく命と引き換えに遺された「防災の記憶」です。
現代に作られた「命の道」
そして、時計の針を現代に戻します。
原則禁止されている踏切が、なぜこの地に新設されたのか。その最大の理由は「津波避難経路の確保」でした。
近年、巨大地震による津波被害が懸念されていますが、この地域は海と内陸の間に鉄道が走っており、土地が分断されていました。いざという時、海側にいる人々が線路に阻まれ、内陸の高台へ逃げ遅れてしまうリスクがあったのです。
つまり恋問踏切は、分断されていた土地を繋ぎ、海側からいち早く安全な場所へ逃げるための道として作られました。
現代のカムイイワとして
かつて、身を挺して村人を高台へ逃がしたおばあさん。そして今、人々を津波から守るために特例で作られた踏切。
ただの新しい踏切と聞いて通り過ぎることもできますが、その背景を知ると、見慣れた景色も少し違った輪郭を帯びてきます。古くからこの地に生きる人々が受け継いできた「命を守る」という祈りが、形を変えて現代のインフラに組み込まれた。そう考えると、なんだか少し感慨深いものがあります。
次にこの地を訪れて踏切の警報音を聞いたとき、それはただの機械音ではなく、かつての占いおばあさんの声のように聞こえるかもしれません。そんな風に、土地の歴史に思いを馳せながら歩くのも、悪くない旅の過ごし方ではないでしょうか。
たびさんぽ